三十過ぎから始まる、俺の青春。はやかです。#違います。
「おじちゃん、ありがとう!」
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そこには水を被ったかのように汗をかき、ヨレヨレの兄のお下がりのTシャツを着た幼い俺がいた。
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幼い俺は真夏にもかかわらず、外の屋台に座り熱々の小さなお椀によそられたラーメンをすすっていた。
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このクソ暑い中ラーメンを食べて美味しいと思える俺も大概だが、屋台を出して客が来ると思ったジジイも相当きてる。
案の定他に客は居なかった。
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懐かしいな。
よく適当なお椀によそったラーメンをいつもこのじいさんは俺に無償でくれてたな。
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いつか恩返しでもしてやりたかったな...
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「ピピピピピピピピ...」
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....なんだったんだ今の夢は。
しかも誰だあのジジイ。
都会生まれで都会育ちの俺にそんなコッテコテのハートフルストーリーが存在するわけないだろう。
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まったく...
きっと疲れてるんだろうな。
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あー...あちぃ...ムシムシするな...
これから夏になってさらに暑くなるなんて考えたくないな。
もっとも、夢の中に出てきたジジイと違って俺は幸いクーラーの効いた室内で年中快適に仕事できるが。
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そう、なんの心配もする必要はない。
だって俺は公務員。
一般家庭に生まれ
真っ当に勉強し
響きのいい名前の大学に入り
思い切って事業を開くなどぜずに
無難に公務員になった。
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そんな俺は別に何も心配する必要はない。
俺は努力してきたのだから。
努力は必ず報われるってのは努力した人にしか本当の意味は分からない。
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俺は恵まれている。
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だから俺みたいな人間を
「つまらない」
なんて言ってる奴らが1番嫌いだ。
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ろくに勉強もせず、好きな事だけをしたいがためにくだらない夢を追いかけ、一向に確かなものを掴めずにダラダラとただ時間を無駄に使い、親不孝をしてる奴らに否定などされたくない。
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ネクタイを締めいつもの鞄を持ち仕事場へ向かう。
毎日ほぼ同じ時間に同じ場所を歩き車に乗る。
とびきり高い車ではないが、独り身のうちにと思い切って少し奮発して買ったこの車は、朝でもテンションを上げてくれる。
きっと今更電車通勤になんか戻れないな。
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仕事場では淡々と業務をこなす。
たまに上司に
「俺もお前みたく若かったら」
なんて言われるが俺ももう三十路のおっさんだ。
食べ放題や焼肉などを食べに行くとつくづく歳を感じてきている。
あんなに好きだった焼肉も胃もたれを気にして昔ほどバクバク食べれなくなってしまった。
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はぁ...
しかし最近残業が多いな...
イメージ的には公務員は定時であがれると思っていたんだけどな...
と言っても真夜中まで残業などは今のところ無いから恵まれている。
定時の日は17:15にあがり、残業がある日は15分の休憩を挟み17:30から18:30まで、2時間残業の時は19:30まで。
昔よりも残業する日は増えたかもしれないが、17:15や18:30に帰れる事も多い。
今は月末だから帰りが遅くなりがちなだけだ。
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そう、俺は恵まれている。
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仕事帰り、趣味のない俺には唯一の楽しみがあった。
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夕飯だ。
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最近は仲間と飲みに行くよりもしっぽり1人で食べるのも悪くないことに気づいた。
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好物がラーメンなので仕事帰りにはよく色々なラーメン屋を試したりしている。
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今日は何処にしようか。
うん、あそこでいいか。
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せっかくの車だがいつも割と近くのラーメン屋に入ってしまう。
結局ここが一番うまい。
そして何よりもここの店主が面白い。
静かな職人肌の店主が作るラーメンもうまいが、1人で来るとこういうカウンター越しに話せる店主もいい。
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店はカウンター席しかない小さな店だが、アルバイトの兄ちゃんが2人、忙しい時は3人と必要な近所では人気のラーメン屋だ。
そんな中でも店主は俺が来ると
「また来たんかい!」
と大きく笑い、忙しいながらも話しかけてきてくれたりと相手をしてくれる。
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この店主とはすっかり仲が良くなって、俺の仕事の悩みなどは大体もう知られている。
そして今日もレンゲでスープを一口飲み、息をつく。
それが合図かのように箸を持つ右手は勢い良くどんぶりにダイブし、1分近く息をする暇もないくらいの勢いで麺をすすり続ける。
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ひとしきりすすり、落ち着くとまた一息つく。
「はぁ、うまい」
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ふと、視線を感じた。
顔を上げると店主がこちらを覗き込んでいた。
いつもなら
「そうだろ?うまいだろ?ガハハ!」
などと言いそうだが、珍しく真面目な顔をしていた。
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「どうしたんすか?」
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「あ...!ごめんごめん!いや...なんでもねっ!」
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「なんなんですかー!大将の真面目な顔なんて初めて見たもんだからビックリしましたよ!」
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そう言って俺が笑うと、店主は俺は真顔にもなっちゃいけねぇのかと笑う。
そして再びラーメンを作り出した。
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俺がラーメンを3/4ぐらい食べ終わっている頃に、店主が再び話しかけてきた。
しかもまた真面目な顔で。
いつもと様子が違う店主に戸惑っていると、店主は言った。
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「なぁ、お前ラーメンでも作ってみたらどうだ? ほら、最初は趣味程度にやってみるのもいいし、なんなら教えてやるよ。」
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「え...」
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「....っガハハハハ! 冗談だよ! いや、お前本当にラーメン好きなんだなってさ! お前みたいなネクタイ締めた公務員がこんな暑苦しい俺みたいた事やりたかねーわな!」
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「いやいや、そんなこと...!」
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「でもよ、最近お前みてぇなヤツよく見てよ、なんだか悲しくなってくるっつーか....気づいてっか? お前会うたびに心なしかやつれてきてて、仕事の話も多くなってるのよ。」
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店を出た後、店主の言った言葉が気になり気がつくと家に着いていた。
去り際に、ラーメン作りたくなったら俺のとこに来いよと冗談交じりに言っていたが、その前に言っていた事はきっと本当なんだと思う。
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家のソファーでもその事ばかり考えていて、気がつくと鏡を覗いていた。
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「...やつれてる...か...」
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髭もちゃんと剃ってるし、髪もしっかり整えてるがきっとそういうことでは無いんだろう。
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そしてふと、思う。
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俺は恵まれているのか?
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努力は必ず報われる。
これは俺のモットーだ。
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俺は努力をしてきた。
報われるはずだ。
恵まれているはずだ。
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ただ、なんの努力をしてきたんだ?
安定した生活を送る努力か?
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安定したくて今まで努力してきたのか?
そんな事を受験していた時から考えていたか?
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きっと違う。
ただ単に幸せになれると思っていたんだ。
取り敢えずいい人生になると思っていたんだ。
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今の俺は間違いなく安定してるし、恵まれている。
ただそれは世間一般の目からしたらだ。
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俺は今、別に幸せではない。
楽しくもないし、楽しみでもない。
ただ、生きているからこうしてるだけだ。
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そうか、これが努力を怠った結果か。
考えるという努力。
勇気を出すという努力。
楽しもうとする努力。
色々な努力を怠った。
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真面目になるのがめんどくさいと言う人もいるが、きっと俺はめんどくさいから真面目になったのかもしれない。
どっちもどっちだ。
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俺が馬鹿にしてきたヤツらもみんな、青春なんかドブに捨てた俺をバカにしてきたかもしれない。
夢を持つという幼稚園生でもできる事ができなかった。
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努力は必ず報われるってのは努力した人にしか本当の意味は分からない?
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特大ブーメランだ。
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本当に俺は夢を追いかける人達の姿を見て報われていないなんて勘違いをしたのか?
報われていないのはどっちだ。
ふざけるのも大概にしろ。
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車なんて持ってなかろうが、都会の狭いアパートにぎゅうぎゅう詰めにされてようが、笑ってる時間は俺なんかより遥かに多いかもしれない。
泣いている時間も遥かに多いかもしれない。
けど、それって真面目に生きてる証拠じゃないか。
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どっちが幸せかなんかどっちもやってみなきゃ分からない。
じゃあやってみればいいじゃないか。
そう簡単に言ってみればいいじゃないか。
軽いノリで今までの努力もドブに捨てるリスクを取ってみればいいじゃないか。
どうせこのままでも後悔するんだから。
努力は必ず報われるってのがモットーなら、今までの努力が水の泡になる瞬間があっても、いつかまたそれが報われる日が来るって事だろ?
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俺は緩めたネクタイを外し、床に捨てた。
初めての衝動に身を投げた。
携帯だけポケットに入れて何も考えずに家を出た。
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いつもの癖で履いてしまった革靴で思いっきり走った。
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まだ間に合うかもしれない。
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真夜中の都会の道を大の大人が革靴で腕を振って走るその姿は、きっと誰が見ても笑いものだ。
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車があるにもかかわらず、徒歩で行けば15分、いや、20分かかるかもしれない場所になぜ走っていこうとしたのか。
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でも、そんな事は今はどうでもよかった。
ただただ不安だった。
夢で見たようなハートフルな思い出や過去もないし、親の後姿に憧れた訳でもない。
ずっと密かに憧れていた訳でもない。
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真面目に勉強してきて、しかも公務員という型に中途半端にハマってしまった三十路の俺が、今から夢を追いかける、しかも数時間前にできた夢を。
理由も薄くただ、好きだからの一つ。
パティシエになりたがる小学生の女の子と同じだ。
こんなことが許されるのだろうか。
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考え続けたら足が止まりそうで怖い。
だからとにかく走った。
バカみたいに走った。
こんなに走ったのは久しぶりだ。
走ったこと自体久しぶりで、喉からはヒューヒューと変な音を出しながら息を上げる。
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ひたすら走っていたら明かりが漏れる小さな店が見えた。
いつもの店主が丁度外に出て戸締りの支度をしているところだった。
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こんなドラマみたいな偶然が俺の人生に今まであっただろうか。
学生時代でも無かっただろう。
人生で今、一番青春しているかもしれない。
それも使い古されたダッサイ青春ドラマのワンシーンのような。
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それでも俺は、これは偶然なんかじゃないと思った。
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「たいしょーーーー!!」
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近所迷惑になるくらいの大声で走りながら店主を呼んだ。
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「うおっ!お前こんな時間に...」
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「たいしょーーっ!はぁ、はぁ、ゴホッ....っ大将...!俺...ゴホッゴホッ!」
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「ガハハハハハッ!!」
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手を膝につけ、息を上げながらむせる俺を見た店主は手を叩きながら盛大に笑った。
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「お前っ!ガハハハッ! うるせぇし落ち着きがねぇし、そんなキャラだったか?!ガハハハハッ!」
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「た、大将!!」
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「分かった分かった!
今日はもう遅いし、明日の朝からビシバシいくからな!
ラーメン屋の朝は言っとくけど早いからな!
取り敢えずカウンターで水でも飲んでけ。
あとお椀一杯分ぐらいのラーメンなら残ってるからそれでも食ってけ!」
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店主は笑いながら店の中へ入っていく。
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三十路の俺の青春は、今から始まる。