ken10_1

愛を計りたい、はやかです。



深夜、ブログを書いていてふと思った。

愛は「重い」「軽い」と表現することがあるが、これは本当に物理的な意味でもあるのではないかと。


ある人間を愛せば愛すほど、その対象の人間には負担がかかる。正に「重さ」がその人間に負荷をかける。どれだけ負荷がかからないように試行錯誤したとしても、「愛している」という事実だけで無意識に相手を緊張させたり、人としてのハードルを上げている。

現に沢山の人達から愛されるような芸能人は、精神的な負担がかなりかかると言われており、精神を病んでしまうことも少なくはない。

こうした事から、私は空回りを何周か終え今に落ち着いた。
プレゼントは貰ったものだけ返す、自分から連絡交換はしない、短期間で詰めすぎた距離は長期間かけて元の距離に戻す、等と無意識に自分ルールを設けていた。

果たしてこれが正解なのかは分からないが、相手を傷つけるきっかけや自分が傷つくきっかけがかなり減少したと思う。

ただやはりハッキリとした形では見えない分、こちらが多く返しすぎたり、軽すぎたりもする。

そうなるともうできる事は、その人の自分に対する愛を数字として見れるようになるしか対策はないだろう。

デスノートの死神の目というので、人間の名前と寿命が見える力があるが、その要領で相手の自分に対する愛が数字として見れたらなと常日頃に思う。

特にファンとの交流中だ。
メールの返信は欠かさないが配信には来ないという人がいたり、愛情表現は様々だ。
全員フルスイングで愛をぶつけたいところだが、冒頭でも言った通り私はそれが相手の負担になることを恐れている。

少し厨二病的に聞こえてしまうが、愛されるのも愛すのも私は怖いのだ。

そんな私は青春時代でも色恋をするわけもなく、友達は超最小限にとどめ、コンパクトに生きてきた。

そして今、そんな人間でも有難いことに応援したいと言って愛を送ってくれる人達がいるのだ。
正直に言ってこんなに嬉しいことは無い。

ただだからといって、全員に握手会で結婚届けを持ってこさせ、卒業する時にその中から選ぶと言ったらさすがに全員ドン引きするだろう。
私には0か100しかないのだ。

それが怖くてなかなか器用に愛情表現が私はできないが、愛が無い訳ではないと分かって頂きたい。


結局何が言いたいのかと言うと、みんな好きだよってことです。
重すぎたら自己申告よろしくお願いします。



書いてたブログ、間に合わなくてすみません。
五十嵐早香のブログでした。