孤独な、はやかです。第8話〜あの時のラーメンをもう一度〜
五十嵐早香2021.12.13
「いらっしゃいませー!」
きた。
久しぶりに来てしまった。
もう長らく来れてなかったラーメン屋だ。
昼は相変わらず混んでいて、ベンチには既に数名座って待っていた。
そう待たないうちに先客が次々と席へ案内される。
次は自分か、そう思うとテーマパークのアトラクションの待ち時間のように、自分の番が近づくにつれ心拍数が上がった。
「1名様、こちらにどうぞー。」
やっとだ。やっとあのラーメンが食べれるんだ。私が初めて惚れたラーメンを。
おっと、その前にセルフサービスの水を注いでから席に座るか。
すると背中の方から大きな声で問いかけられた。
「ご注文はー?」
あ、そうだよな。急いでるよな。
えっと...
そして私は水を注ぎながら叫んだ。
「ラーメン、野菜増しで!!」
カウンター席に着くと懐かしい店主が元気よくもやしを振っていた。
初めて来た時はてっきり二郎系だと思っていたな。
この店を発見した次の日、ラーメン好きのマネージャーにこの店の事を話した時に知った。
どうやらこの店の方が二郎系よりも前にあったらしい。
なるほど、マスコットキャラクターのあのチャイナ娘の風格はそういう事か。
「はい、野菜増しラーメンねー。」
うおおおおおおおおお!!!
「ゴトッ」
きたきたきたきたーーー!!
高々と盛られたもやしが一瞬揺れた。
その時、大事なことに今更気付いてしまった。
待てよ、久しぶりすぎてすっかり忘れていた。
なんてことだ...せっかくの「ラーメン」だと言うのに...
麺硬めを告げるのを忘れていたのだ。
このラーメンは特性上、もやしの下敷きになった麺がどんどん柔らかくなってしまう傾向がある。特に野菜増しはそうだ。
分厚い野菜の壁でスープの中に蓋をして閉じ込められているようなものだ。
しまった...ただ挽回の余地はまだある。
そう、「天誅返し」をするのだ。
その技は名前で察する人もいるだろう。
上に乗ったもやしをグッとスープの中に入れ、その勢いで下に入っていた麺は今度は上に乗っかる。
もやしと麺がリバースするのだ。
これは家族で回数券を買い始める前からとっくに習得した技だ。
ただし、この技は野菜増し、もやし増しでするのにはかなり洗礼された技術が用いられる。
毎度スープは丼なみなみに注がれている。
それを一滴も零さずにやらなければならない。
久しぶりで腕が鈍っていないか心配になるな...
箸を両手に1本ずつ持つと、片方はもやしを押し付けるように、もう片方は丼の底まで突き刺す。
「ふっ...!」
もやしを横から下に押し込むと反対側から麺が現れた。
久しぶりでも体は覚えているようだ。
無事、天誅返しは成功した。
天誅返しをした後のラーメンはお世辞にもおいしそうには見えないが、麺をかき分けて探すチャーシューがまるで宝探しのようでいつになっても少年心を擽る。
少年だった頃はないが。
よし、準備は整った。いよいよだ。
「...いただきます。」
さぁ、スープを先に飲むか麺をすするか迷うところだ。
...うん、なるほど、そうか。
よし。
麺をかき分けてもやしとネギを少量ちょこんと麺の上に乗せ、箸で麺ごと掴む。
思い切り麺を持ち上げ口に運ぶ、と同時にすすりながらレンゲにスープ入れ、麺をすすり終わると素早くスープを流し込んだ。
んんー!!この味だ!!
大外品の無いこの味!!
3ヶ月は食べてなかったここのラーメン。
感動もののうまさだ。
初めて食べる衝撃的な感動とは違い、どこか安心できるような、息が勝手に漏れてしまうような、そんなラーメンだ。
チャーシューはどこだ。
チャーシューチャーシュー...
あったぞ!!
うっすいチャーシューを麺といっしょに口に頬張る。
あぁ...なんてうまいチャーシューなんだ。中太麺とこんなに絡むのは薄いからこそだ。
しかもこのチャーシューは思ったより沢山入っているので、宝探しが食べ終わるまで楽しめる。
テーブルには胡椒、塩、ラーメンのタレがある。
塩はゆで卵を食べる時に。胡椒はお好みで。
そしてこの「ラーメンのタレ」というのがもやし増し、野菜増しにした人必見なのだ。
これはもやしの水分でスープの味が薄くなってしまった時に使う。
特に天誅返しをするとすぐに薄くなる気がするので、しばらく経ったら少しだけ使うのがポイントだ。
ああ、なんてうまいラーメンなんだ...
カップラーメンとか...できないか。
この味はあっさりなのになぜか脂もしっかり浮いていてボリュームのある味は、カップラーメンでは難しいのかもしれない。
それにこの量のもやしを自分で用意するとなると手間がかかって仕方がない。
そんなことを思いながら食べているとあっという間に半分終わっていた。
やばい、もう少しゆっくり食べなければ足りないかもしれない。
毎度そう思うが食べ終わる頃には不思議と腹いっぱいなのだ。
そしてここで!
味変ターーイムだ!!
先程テーブルに乗っているものを紹介したが、実はもう1つ乗っているものがある。
「スタミナ辛子」とラベルの着いた大きめの瓶だ。
この中には味噌のようなぼってりとした赤いものが入っている。
明らかに味変のためのものだが、私はこれを直接ラーメンには入れない。
まずはレンゲの中に入れて、味噌汁を作る時のようにレンゲの中でスープと溶かす。
麺をレンゲの中につけて食べるとプチ味変ができるのだ。
そしてレンゲを持った左手は浮かしたまま丼からラーメンを食べると、元のラーメンと味変後のラーメンが交互に食べれてしまうのだ。
これは実はファンの方から教わった秘伝だ。
レンゲの中の真っ赤なスープに麺をつけてすする。
おおおお!
一気にはっきりとした味へと変った。
コチュジャンなどに似ているが、見た目に反してそこまで辛くはないので私でも食べれてしまう。
ニンニクの効いたペーストなので仕事がある時は注意が必要だ。
ある程度満足したらレンゲの中のスープを丼の中へ混ぜてさらにスタミナ辛子を足す。
なんとも言えないぼやけた味がここの良さなので最初から入れてしまうのはナンセンスだが、この味変をすると火がついたように後半戦が始まる。
最初とは打って変わってはっきりとしたスープがもう一度食欲を刺激する。
うまい。箸とレンゲが止まらない。
やはりこのラーメンは家系とも勝負ができる。
600円でこのクオリティーとボリュームは今時あり得ないことだ。
何度箸をスープに潜らせても1本ももやしが掴めなくなり、ようやく食べきってしまったことに気づく。
ああ、もう終わってしまったのか。
腹はとっくに満たされているが、なにか名残惜しくてスープだけを何度もすくって飲んでしまう。
終わりにしなければ。
またいつか来れるではないか。
そう自分に言い聞かせると、なんだか少し寂しくなってしまった。
本当に大好きなんだ。
頼むから名古屋駅か栄周辺の駅から歩けるところにもできてくれ。
そう思いながら丼をカウンターに上げ、回数券を1枚渡した。
「ありがとうございましたー!またお越しくださーい!」
はい、絶対に来ます。
次来る時はもう2022年なのだろうか。
恋しくなるなぁ...
ありがとう、もやしラーメン。
また来ます。